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12世紀頃の実在の人物(生没1384-1433)であり、 黎朝(レ朝)を創設した王(在位1428-1433)として歴史に名を残しています。

ベトナムの英雄であるレ・ロイは平定王(ビンディンブオン)と呼ばれ、廟号は「太祖」となっています。

中部ベトナム、タインホア地方の土豪の子として生まれ、明との戦争で大きな功績を残し王朝を築き、政治でも優れた功績を残しました。

レ・ロイの英雄物語

民話の中では、神剣(タン・キエム)を手に入れ、これを天帝からの授かりものとして戦いました。

この剣を抜き放てば敵は戦意を失い、倒れ、逃げ去ってしまうという。

知恵者のグエン・チャイ(阮薦)と多くの仲間と共に明軍(中国)を退けベトナムの独立を勝ち取っていくのです。

 歴史的には、 1407年明によってベトナム全土が占領されると、 1418年から故郷ランソン地方で挙兵を開始します。

 10年間程、山岳ゲリラ戦で戦い、ソン・コイ川デルタに進撃します。

 1428年には明軍が退散し、ベトナム軍は独立回復でレ朝を開きました

 更に詳しい物語は時代を超えた英雄レロイ:ホアンキム湖の物語をご覧ください。

レ・ロイによる政治での功績

これにより国力を充実させていきます。 

今でもベトナム社会では社(村落)制度がみられます。

レ・ロイと神亀

儒教の教典の一つ「礼記」において亀は龍、鳳凰、麒麟と共に世の太平を兆す四獣の一つとされ、儒教においては特に重要な生き物とされてきました。

またベトナムの民間信仰では4匹の神獣とされ、権力、永久の力、繁栄などの象徴とされています。

ハノイのホアンキム湖(還剣湖)

ホアンキム湖はもともとタイ湖という名前ですが、物語の由縁からかホアンキム湖のほうが知られています。

ホアン(Hoàn)とは漢字で還、(Kiếm)キムとは剣を意味します。

そんな湖のほとりに玉山祠というお寺があります。

この玉山祠は「三国志」の登場人物である関羽を祀る廟で、横浜や長崎の中華街にある関帝廟と同じですね。

中国では関羽は商売の神様としても崇められています。

そして孔子を祀る「文廟」に対して、関帝廟は「武廟」とも呼ばれています。

しかし、時代を経て現在では関羽は祠の後ろに追いやられ、前面には元寇を打ち破ったチャン・フン・ダオの像が厳かに祀られています。

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By なら

介護業界で15年ほど勤務、近年はベトナムの介護施設で管理者として働く。奥様はベトナム人、息子一人。ベトナム語を勉強し、幾度も挫折を繰り返し復活しています。

One thought on “通りの名前にあるレロイ(Le Loi)ってどんな人”

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